2021年09月25日
日本軍と共闘したイタリア人
日本軍と戦った外国人は多くいますが、ヨーロッパ人は聞きませんよね。
さて、今日は海外サイトで見つけたあるイタリア人についてご紹介。
1940年から1943年にかけて潜水艦バニョリーニとトレッリの乗組員だったラファエロ・サンツィオ(rafaello sanzio)は1943年7月にカッペリーニに乗り込んだ。
コマンダンテ・カッペリーニはキニーネや水銀などを積み込んで極東へと出発した。ラファエロが20代前半の時だった。

マラッカ海峡のカッペリーニ。
カッペリーニは9月にシンガポールにジュリアーニとトレッリと共に到着した。
しかし、数日後にイタリアが降伏してしまう。そして潜水艦のイタリア人は日本軍によって捕虜にされた。
イタリア社会共和国の建国によって乗組員には二つの選択肢が与えられた。
捕虜になるか、枢軸国側として戦うかだ。
将校たちは降伏した王に従ったが、ほとんどの乗組員はドイツと日本と一緒に戦闘を続けることに決定した。

ドイツ海軍の軍服を着たラファエロ・サンツィオ。
カッペリーニとトレッリはドイツ海軍に編入され、ペナン潜水艦基地から太平洋での哨戒任務に従事した。
ドイツの降伏後、神戸にいた二隻は日本軍に接収されたが、イタリア人たちはそのまま日本海軍の一員として潜水艦に戦った。
1945年8月22日にはB-25を撃墜したといわれているが、詳細は不明だ。
日本の降伏後、彼らはアメリカ軍に投獄され、イタリアではサロ政権についた兵士と同じく裏切り者として扱われた。
軍籍と年金を奪われたのだ。
彼はイタリアに絶望し、日本人の妻を得て日本に定住することを決めた。そして妻の姓にちなんでラファエロ小林(raffaello kobayashi)と名を変えた。

インタビューを受けるラファエロ、
90歳を超えて彼は横浜で亡くなった。
引用↓
http://www.regiamarina.net/detail_text.asp?nid=294&lid=2
ようつべでも紹介されていました↓
https://m.youtube.com/watch?v=mUg5gLBso2M
さて、今日は海外サイトで見つけたあるイタリア人についてご紹介。
1940年から1943年にかけて潜水艦バニョリーニとトレッリの乗組員だったラファエロ・サンツィオ(rafaello sanzio)は1943年7月にカッペリーニに乗り込んだ。
コマンダンテ・カッペリーニはキニーネや水銀などを積み込んで極東へと出発した。ラファエロが20代前半の時だった。

マラッカ海峡のカッペリーニ。
カッペリーニは9月にシンガポールにジュリアーニとトレッリと共に到着した。
しかし、数日後にイタリアが降伏してしまう。そして潜水艦のイタリア人は日本軍によって捕虜にされた。
イタリア社会共和国の建国によって乗組員には二つの選択肢が与えられた。
捕虜になるか、枢軸国側として戦うかだ。
将校たちは降伏した王に従ったが、ほとんどの乗組員はドイツと日本と一緒に戦闘を続けることに決定した。

ドイツ海軍の軍服を着たラファエロ・サンツィオ。
カッペリーニとトレッリはドイツ海軍に編入され、ペナン潜水艦基地から太平洋での哨戒任務に従事した。
ドイツの降伏後、神戸にいた二隻は日本軍に接収されたが、イタリア人たちはそのまま日本海軍の一員として潜水艦に戦った。
1945年8月22日にはB-25を撃墜したといわれているが、詳細は不明だ。
日本の降伏後、彼らはアメリカ軍に投獄され、イタリアではサロ政権についた兵士と同じく裏切り者として扱われた。
軍籍と年金を奪われたのだ。
彼はイタリアに絶望し、日本人の妻を得て日本に定住することを決めた。そして妻の姓にちなんでラファエロ小林(raffaello kobayashi)と名を変えた。

インタビューを受けるラファエロ、
90歳を超えて彼は横浜で亡くなった。
引用↓
http://www.regiamarina.net/detail_text.asp?nid=294&lid=2
ようつべでも紹介されていました↓
https://m.youtube.com/watch?v=mUg5gLBso2M