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Posted by ミリタリーブログ  at 

2022年01月01日

謎のドイツ兵たち

https://m.youtube.com/watch?v=IXBfN-HkObE

上のプラハ蜂起のリエナクトメントの動画をようつべで見ていたら

*プラハ蜂起とは、1945年5月5日に始まったプラハにおける市民の蜂起。8日に停戦してプラハのドイツ軍部隊は撤退した。






シュタールヘルムがの兵士を発見しました!

なんかスターウォーズのロイヤルガードみたいでカッコいいですね。



それにしても、いったい何者なんでしょう。

https://www.warrelics.eu/forum/steel-helmets/need-help-red-german-helmet-697491/

このフォーラムを見つけましたが、あまり情報がありません。



英語版wikiによれば、プラハ蜂起(Pražské povstání)にはSS、国防軍、空軍の対空砲部隊が動員されたそうです。

しかし軍服を見るにSA、突撃隊のような気がします。ちなみに付近にはSAもいたそうでず。


  
タグ :ドイツ軍


Posted by eisenmann  at 00:01Comments(0)ドイツ軍

2022年01月01日

Einen guten rutsch ins neue jahr!!





新年明けましておめでとうございます。


さっきまでゆく年くる年見てました。

我ながら学生のくせに渋いですなw



それにしても、今年中にコロナが収束するのでしょうかね?

  


Posted by eisenmann  at 00:00Comments(0)

2021年11月08日

日本軍のMP40

日本の同盟国ドイツの名銃といえばMP40ですが、日本軍ではどのように認識していたのでしょうか?


昔見かけた↓の記事を再発見しました。

http://regimentals.jugem.jp/?eid=757


有名なシカゴレジメンタルスさんのです。

10年くらい前のやつなので、もう出回らないレア物ですね。

それにしてもやはり日本軍は他国の兵器もしっかりとチェックしていたことが分かります。



下の写真は前にヤフオクで見かけたものです。

これはレアだと思って保存しておきましたが、取引自体はもう終わっていました。

この記事を書く前に調べてみましたが、ページは消えていました。今では貴重な写真です。







  
タグ :日本軍


Posted by eisenmann  at 07:00Comments(0)日本軍

2021年09月25日

日本軍と共闘したイタリア人

日本軍と戦った外国人は多くいますが、ヨーロッパ人は聞きませんよね。

さて、今日は海外サイトで見つけたあるイタリア人についてご紹介。




1940年から1943年にかけて潜水艦バニョリーニとトレッリの乗組員だったラファエロ・サンツィオ(rafaello sanzio)は1943年7月にカッペリーニに乗り込んだ。


コマンダンテ・カッペリーニはキニーネや水銀などを積み込んで極東へと出発した。ラファエロが20代前半の時だった。




マラッカ海峡のカッペリーニ。


カッペリーニは9月にシンガポールにジュリアーニとトレッリと共に到着した。


しかし、数日後にイタリアが降伏してしまう。そして潜水艦のイタリア人は日本軍によって捕虜にされた。


イタリア社会共和国の建国によって乗組員には二つの選択肢が与えられた。


捕虜になるか、枢軸国側として戦うかだ。


将校たちは降伏した王に従ったが、ほとんどの乗組員はドイツと日本と一緒に戦闘を続けることに決定した。




ドイツ海軍の軍服を着たラファエロ・サンツィオ。


カッペリーニとトレッリはドイツ海軍に編入され、ペナン潜水艦基地から太平洋での哨戒任務に従事した。


ドイツの降伏後、神戸にいた二隻は日本軍に接収されたが、イタリア人たちはそのまま日本海軍の一員として潜水艦に戦った。


1945年8月22日にはB-25を撃墜したといわれているが、詳細は不明だ。


日本の降伏後、彼らはアメリカ軍に投獄され、イタリアではサロ政権についた兵士と同じく裏切り者として扱われた。


軍籍と年金を奪われたのだ。


彼はイタリアに絶望し、日本人の妻を得て日本に定住することを決めた。そして妻の姓にちなんでラファエロ小林(raffaello kobayashi)と名を変えた。




インタビューを受けるラファエロ、



90歳を超えて彼は横浜で亡くなった。



引用↓
http://www.regiamarina.net/detail_text.asp?nid=294&lid=2

ようつべでも紹介されていました↓
https://m.youtube.com/watch?v=mUg5gLBso2M  


Posted by eisenmann  at 21:51Comments(0)日本軍

2021年05月29日

シベリア出兵の写真

いやはや受験等も重なって更新が大幅に遅れてしまいました。

さて、教科書でもあまり触れられないシベリア出兵ですが、その時の写真が検索しても全く無いんですね。

というわけで今回はシベリア出兵の写真を集めてみました。















































  


Posted by eisenmann  at 14:18Comments(0)日本軍

2020年10月28日

皇協軍

皆さんお久しぶりです。


いやはや学生の本分は勉強ということで投稿が長引いてしまいました……


さて皇協軍って知っていますか?



皇協軍とは、偽軍とも謂われ日中戦争において日本軍に協力した複数の中国人部隊の事です。

1941年1月30日、大本営陸軍部は、汪兆銘(精衛)国民政府との日華基本条約成立に伴う新国軍の建設と、それにより日本軍の在華兵力の削減の肩代わりとなる警備力を充実して長期持久戦に備えることを狙いとして「支那側武装団体整備並指導要項」を出し、その中でこれらの傀儡軍は「当分ノ間我カ占拠地域ノ治安粛清ニ協力スルヲ主トシ併セテ国民政府政策遂行ノ支柱タリ得ルヲ目的」としていたそうです。


ただ、国民党からの帰順部隊は治安維持の点ではあまり役に立たず、警察、警備隊、保衛団の方が役に立ったらしいです。

当時「北支那」方面軍作戦主任参謀であった島貫武治によれば、有力な武装団体は、警察及び省、県警備隊、とりわけ警備隊でした。また伝統的組織である県保衛団等は、指導によっては自ら対中共自衛にあたり、非常に成果をあげたが、治安軍は、治安戦における実績において必ずしも期待にそうものではなく、また帰順部隊も溌刺たる闘争心に乏しく、とても八路軍に対抗できるものではなかったとのこと。


「关于抗战时期伪军的一些情况」によると、治安維持以外の皇協軍部隊は中国北部に送られ、民間人の大量虐殺に参加したとか。( 察し....)




その兵力は終戦時には満州国軍を除いて118万人、終戦とともに脱走した兵士もいるので一説には200万人ともいわれます。


いずれにせよ、支那派遣軍の終戦時兵力105万を上回る数字です。

また皇協軍のうち62%が元国民革命軍兵士だったのことです。



それではどのような皇協軍部隊がいるのか見てみしょう!



和平建国軍





汪兆銘政権の軍。皇協軍の中で最大の組織。正規兵60万人以上。基本は八路軍や土匪との戦闘で、国民党軍とは戦わなかったが、和平建国軍第3方面軍総司令の呉化文配下の部隊は度々日本軍と協力して国民党軍を攻撃した。


華北治安軍(中国側では華北綏靖軍)




華北政務委員会の軍。
1940年に斉燮元を司令官として設立された。
日本軍と協力して治安維持、ゲリラの掃討に参加し、55,000人の兵力を有した。その他にも華北には警察及び省・県警備隊がいた。


冀東政府軍




軍、警察、民兵を入れて兵力10万人。通州事件を起こした。通州事件後は警防隊に改変され対共産党の掃討作戦、京古鉄道沿線の四県の警備などに従事。


内蒙軍




蒙古聯合自治政府の軍。チャハル作戦や太原作戦にも参加した。


東亜皇協軍






興亜黄軍とも言われる。山西省の治安維持。最高司令官は武尽英。




参考文献
・馬場毅『山東省の傀儡軍について』
・土屋光芳『「戦わざる軍隊」: 注政権軍の特質についての一考察 』
・章慕荣『汉奸将军张岚峰的无耻人生』
・贾润贤『20世纪的冀东阴云』
  


Posted by eisenmann  at 20:59Comments(0)日本軍

2020年07月26日

ワルシャワ蜂起リエナクトメント

2008年に行われたワルシャワ蜂起の再現イベントの写真を集めてきました。




















































































す、すごい再現度ですね(^^;  


Posted by eisenmann  at 08:51Comments(0)ドイツ軍

2020年07月17日

日本軍のStG44





さて、ティーガーに続いて我らが大日本帝国陸軍はMP44(スミマセン、まだStG44ではないです(>_<))も買っていました。


ドイツ軍が新型兵器を開発したと聞いた日本は、兵器研究は熱心でしたので、購入することに決めます。




MaschinenpistolenやMP44の文字が見えますね。


そして、陸軍兵器行政本部独国駐在官の小松光彦を契約担当官としてMP44を6挺と弾薬を購入しました。





日本陸軍の軍需国策会社、昭和通商の名前も見えます。まあ、陸軍所要の外国製兵器の輸入が会社の設立目的に入っていますし……。




やはり表記は自動短銃です。MP四四と書かれています。



しかし、おそらくティーガーと同じく日本に届かなかったでしょうね……。


↓アジ歴の資料です。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C15120351700?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E5%B0%8F%E6%9D%BE%E5%85%89%E5%BD%A6&  


Posted by eisenmann  at 14:17Comments(2)日本軍

2020年07月12日

日本軍の機関短銃の使用部隊まとめ

日本軍コスして機関短銃を持ちたいけど、どの部隊が装備していたのかいまいち分からない…


という人のために、装備部隊をまとめてみました!





※情報が入り次第更新していきます。



・義烈空挺隊(沖縄)
100機関短銃を総員136名中、37挺装備



・支那駐屯歩兵第二連隊(華北-満州-華中-華南)
試製機関短銃(試製三型か?)を装備。
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F0000000000000218492&ID=&LANG=default&GID=&NO=&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1 を参照。



・北支方面軍(北支那)
昭和十三年八月より近接戦斗委員が機関短銃を携行していた。上記と関係あるか。



・横須賀鎮守府第三特別陸戦隊(チューク島)
ス式自動拳銃(mp34)40丁の配備を要望。
米軍の報告書からも確認できる。



・上海海軍特別陸戦隊(上海)
ベルグマン式自動拳銃を装備。二度の上海事変で使用。



・海南警備府(海南島)
隷下部隊は、第15警備隊、第16警備隊、佐世保第8特別陸戦隊、横須賀第4特別陸戦隊、舞鶴第1特別陸戦隊で、ベ式、ス式を装備。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14121134700?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E8%87%AA%E5%8B%95%E6%8B%B3%E9%8A%83%20%E6%B5%B7%E5%8D%97& を参照。



・日本陸軍憲兵隊(インドネシア)
オランダ植民地軍に配備されていたMP18が多数接収、準制式兵器として使用。戦後に目黒区の民家で発見されるという事件があった。
独立戦争時のインドネシア軍が日本軍から奪取した兵器、及び装備類の数値によるとインドネシアの日本軍には1,400挺ほどの自動小銃があったらしい(おそらく100式も含め)。



・147師団(護北兵団)歩兵第427連隊(最終位置 千葉)
百式機関短銃36丁を装備



・所属不明のオートバイ伝令兵(フィリピン)
百式機関短銃を持っていたが、予備弾倉が一つだったらしい。なお2chから。



・師団及び連隊不明(ビルマ)
昭和19年にビルマのペグーで百式機関短銃を使用。



・陸軍落下傘部隊
英軍から鹵獲されたトミーガン600丁が支給。
第一挺身団の装備表に自動小銃があることが分かる。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14060486600?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%B0%8F%E9%8A%83&



・高千穂部隊(レイテ)
第二挺身団で、100機関短銃を装備。大岡昇平の「レイテ戦記」にも記されている。



・ 第3特別根拠地隊(タラワ)
分隊長がベ式を持っていたと記述が…。



・所属不明の下士官(南方)
下士官が芋を食べてベ式で自殺。



・呉鎮守府第101特別陸戦隊(ラバウル)
百式機関短銃が配備されていた。



・所属不明(シンガポール)
シンガポールの日本軍司令部の建物にあった二型機関短銃がイギリス軍に鹵獲された。



・高砂義勇隊(フィリピン)
マニラにおいて百式機関短銃がわずかに配備。



・第15野戦航空補給廠(長辛店)
地上兵器としてトンプソン自動短銃を保有。



・ 第百十師団(最終位置 洛陽)
おそらく鹵獲品の自動短銃やブローニング軽機関銃を所有。
終戦時の移譲兵器集計表↓
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C15011069500?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E8%87%AA%E5%8B%95%E7%9F%AD%E9%8A%83&
・歩兵110連隊在庫↓
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C15011111900?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InfoId&IS_KEY_S1=M2015013017364491022&
・師団在庫、南倉庫分でベルグマンやトンプソン自動小銃等の文字が見える↓
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C15011111600?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InfoId&IS_KEY_S1=M2015013017364491019&



・北支第一五六六七部隊(北支那)
自動小銃を60挺保有。



・歩兵第33連隊(フィリピン)
大隊作業隊に押収自動小銃を配備。



・第三野戦飛行場設定隊(ミンダナオ)
第八と第十二特設野戦飛行場設定隊に押収自動小銃を配備。



・嘉林飛行場(満州)
自動小銃を保管。



・在湖口海軍部隊(江西省湖口)
ベ式自動拳銃を保管。



・第二十三軍直轄部隊(広東)
自動短銃を配備。



・独立歩兵第八旅団(広東)
自動短銃を配備。



・第一軍(最終位置 山西省太原)
自動短銃を配備。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C13070318500?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E8%87%AA%E5%8B%95%E7%9F%AD%E9%8A%83& を参照。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2013071117345379964&ID=M2013071117345379969&REFCODE=C13070326900と、
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F2013071117345379964&ID=M2013071117345479971&REFCODE=C13070327100も。
また、第1軍司令部の発翰綴には原平鎮での武装解除について自動小銃の字が見える。


・海上挺進第三戦隊(沖縄)
100式機関短銃を装備。



・第六三兵站警備隊(フィリピン)
押収自動小銃を保管。



・「イバ」警備隊 (フィリピン)
自動小銃を配備。



・第18方面軍 (タイ方面)
押収した自動小銃及び機関短銃を装備。
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C15010357900?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E6%8A%BC%E5%8F%8E%20%E8%87%AA%E5%8B%95%E5%B0%8F%E9%8A%83& を参照。



・野戦高射砲第五十五大隊 (支那)
自動小銃を装備。



・福生飛行場立翌部隊(現横田飛行場)
試製自動短銃を配備。



・第119師団(満州)
終戦時の日ソ戦において鷲尾小隊がソ軍歩兵約五〇名を迫撃砲で全滅させ、自動小銃を鹵獲し各人小銃を捨てこれを装備した。



・マンカヤン警備隊(フィリピン)
匪賊討伐時に自動小銃を使用。



・歩兵第二十八連隊(満州)
昭和10年の謝字杖子附近の匪賊討伐時に自動短銃を装備。



・第一次支撑師団(内地)
機関短銃を装備。



・第二次機動師団(内地)
機関短銃を装備。
第一次支撑師団の分も含めて
https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/image_C14061055000?IS_KIND=detail&IS_STYLE=default&IS_TAG_S1=InD&IS_KEY_S1=%E6%A9%9F%E9%96%A2%E7%9F%AD%E9%8A%83& を参照。



・関東軍(満州)
満州事変時に鹵獲されたベルクマンやトンプソンなどの自動短銃のうち使用可能のものが第一線部隊に交付された。



・北支那方面軍(北支)
1939年の北支方面軍兵器部の増加装備調査によると、第5師団、第26師団、第36師団、第108師団、第109師団、第114師団が押収自動小(短)銃を増加装備している。特に第109師団は110挺も増えている。



・第14方面軍(フィリピン)
方面軍全体で使用可能な押収兵器は、ガーランドが1270挺、BARが550挺、トンプソンが80挺であった。



・第十三師団(華中-華南)
鹵獲自動小銃を都安作戦などで使用。



・22航空情報連隊(北平)
トンプソン自動短銃を保有。



・野戦高射砲第55大隊(南石頭)
自動小銃を保有。


・「ムンダ」「コロンバンガラ」陸軍部隊(フィリピン)
自動小銃を保有。


・鎮海海軍軍需部(朝鮮)
自動小銃が配備。鎮海警備府の引渡目録には、六式自動小銃もしくはス式自動小銃とある。


  


Posted by eisenmann  at 19:41Comments(0)日本軍

2020年06月26日

日本軍のティーガー!



さて、ドイツ軍のティーガーを日本軍が購入しようしたのは有名な話で (知らない人は↓を見て!)


https://worldoftanks.asia/ja/news/history/victim-of-circumstance-how-japan-purchased-tiger/


どうも調べてみると、ティーガー以外にも色々購入しているようです。



・VI号戦車ティーガー
・V号戦車パンター
・III号戦車N型
・III号戦車J型
の4輛が購入されたそう。

まぁ、日本には届かなかったわけですが……

http://ww2f.com/threads/german-tanks-in-japanese-service.54297/




しかし、日本軍の戦場で役立てたのかは甚だ疑問ですね…
  


Posted by eisenmann  at 21:17Comments(0)日本軍